アラサー子なし主婦のつぶやき

日々気づいたこと、学んだこと、ゆるゆると書いていきます

日記は未来の自分を助けるかもしれない

日記アプリで、誰にも見せない・見せられないような日記を不定期で書いているのだけど…

ふとモヤモヤしたときにザーッと読み返してみたら、今の自分にドンピシャな言葉がたくさん綴られていた。




やっぱり悩みや不安は繰り返すもので…
そのときその出来事自体は解決した!と思っても、根本の自分の思考のクセは変わってないから、似たような出来事が起きるとまた同じようにモヤモヤする。

思考のクセって本当厄介だなぁと思う…。





私が無性に日記を書きたくなるのは、

・1日の良かったことリストを書くのにハマってるとき
・特別嬉しいことがあったとき

…もなんだけど
圧倒的に多いのは、

・どうしようもなくモヤモヤするとき
・どうしようもない怒りを感じてるとき


この2つがダントツで多い。笑




最初はとにかく書きなぐる!
めちゃくちゃ醜い感情も、汚い言葉も、誰に見られるでもないから感じてることをそのまま、頭に浮かんできたままに書きなぐる。
ものすごいはやさでフリック入力する。笑


そこから、一度その文を読み返す。
読み返していくと、頭にのぼってた血が段々とおさまってきて、さっきよりも冷静に自分のことを見られるようになる。
そこで、自分の改善点に気づく。
気づいたこともそのまんま書きなぐる。




ぶわーーーーっと書いてるうちに、自分の中だけで消化できて解決することもあれば、やっぱりこれだけは相手と話をしようという結論に至ることもある。


もし日記を書きなぐる前に相手と話したら、喧嘩腰で怒りをぶつけていたであろうことも、自分の思いを書き出して、冷静になって、自分の至らぬ点にも気づいた状態になると、感情的に怒りをぶつけることはなくなるから衝突も最小限で済む。



これだけでも、日記を書くのは本当に良いことだなと思う。




それにプラスして、過去の日記は今の自分を助けてくれる言葉が豊富だったりする。


最初に書いたとおり、人には思考のクセがあるから、なんだかんだ似たような悩みや不安は繰り返し感じやすい。
一難去ってまた一難…みたいな感じで
一悩み去ってまた一悩みする。




でも、日記には過去に同じような感情に苛まれたときの自分が、リアルな感情を書きなぐってる。

その感情は当たり前に共感しかなくて、わかるわかる…そうそうほんまそれ…そう思ってしまうよな…となる。


で、読み進めると、冷静になった自分が自分の至らぬ点を書いていて、読んでる自分も冷静になってくる。


そこからモヤモヤ脱出の鍵となる、方向転換できる考え方を示してくれてて、「そっか!こう考えればいいんだった!そうだった!」と気付かせてくれる。





先日、久しぶりにモヤモヤが爆発して、夫に全部ぶつけたくなった。前みたいにぶつけることはしなかったけど、チクチクと文句を言ってしまった。
不完全燃焼な自分は、数日モヤモヤする日を過ごした。



そこで、また日記を書きなぐった。
自分の思いを受け止めて、改善点もわかってるから全部書いた。


それでも今回はまだモヤモヤしてて、夫にぶつけたくなったから、気を紛らすつもりで過去の日記を読み漁ってみた。




そしたら、今回と同じようなことで悩んで、夫に感情をぶつけてしまったときの日記が出てきた。




そのときの自分の負の感情、
夫が言ってくれた言葉、
自分の心の変化、反省、
モヤモヤが吹っ飛ぶほどの気づき……


これをすっかり忘れて、また同じパターンを繰り返すところだった。



思いがけず日記を読み返してみたら、一瞬でモヤモヤが吹き飛んで、夫に感謝の気持ちでいっぱいになった。

過去にしてしまったことを繰り返さずに済んだ。






書きなぐるばかりで読み返すことは少なかった日記だけど、今後も何か思い悩んだときは、まず日記を読み返してみることにする。



そして色々読み返すと、嬉しかったことも嫌だったことも、どんなことでも日記に書き起こすことは良いことだなとしみじみ思った。
これからも、短くても極力書いていこう。

ブログも3月は15記事とか言ってたから、もっと書かないとな…。笑





日記って素晴らしい!



    

矛盾しててもいい。答えを一つに絞らなくていい。


YouTubeより。
人は、答えを一つに絞ろうとする習性があるらしい。


AかBか
白か黒か
マルかバツ
良いか悪いか……



色々な物事に対して、一つの答えを出そうとする。
矛盾してはいけないという思い込みがある。





例えば、「この世から消えたい」と思っている人がいたとして、
その人が翌日には「やっぱり生きたい」と言うと、
「どっちやねん?」となる。


けど、どっちの感情も同時に感じてもいいし、相反する考えを同時に持つことがあるのは当たり前なのだと…。





同じ相手に対して、"好き"と思うこともあれば、"嫌い"と思うこともある。

同じ経験に対して、"楽しい"と思うこともあれば、"怖い"と思うこともある。

同じ出来事に対して、"気にならない"と思うこともあれば、"許せない"と思うこともある。




そういう相反する感情が出てきたとき、答えを一つに絞ろうとするから苦しくなるのだそう。


完全には理解出来てないかもしれないけど、これを聞いたときは衝撃を受けたとともに心が軽くなるのを実感した。







あの人のことを好きなときもあれば、嫌いなときもある。

同じことをしているのに、楽しめるときもあれば、恐怖心でいっぱいになるときもある。

言われたことに対して、何も気にならないときもあれば、ものすごく引っかかったり許せない気持ちになるときもある。




前は好きだったのに!
前はこう出来てたのに!
前は許せてたのに!


そう思う必要もないし、


嫌いなら離れてしまえ!
怖いならもうずっとしなければいい!
許せない!無理!


と、極端な方にふれる必要もない。





どっちもある。
どっちもあっていい。


人に対しても自分に対しても…
基本は好きだけど、ここは嫌いだな。とか
大好きだけど、今この瞬間は嫌い。とか
苦手だったけど、こういうところは好きだな。とか


そういう考え方でいい。





答えは、AとBの両方あるかもしれない。
AとBの間かもしれない。
AでもBでもなく、Cかもしれない。





一つに絞らなくていいとわかれば、自分の中の矛盾に苦しむ必要はなくなる。


矛盾に苦しんで答えを一つに絞ろうとするから、今までは人間関係がとても極端になってしまってたのかなと思う。



0か100か、白か黒か、
という思考が強すぎたもんな。

無駄な完璧主義も同じこと。
完璧にやりたいけど出来ないから、結局何もしない…先延ばしにする…みたいなことが日常だった。


今は、10点でも20点でもいいからちょっとやる。
それでひとまずおっけー!と思えるようにはなってきてる。




ただ、人間関係に関してはまだまだ白黒思考が強くなることがある。

それは、自分に対しても常にマルかバツかをジャッジしてるからなんだろうな。



白黒思考を手放すことで、もっと楽に生きていけるはず。






相反する考えが出てきたとき、
答えをひとつに絞ろうとしない。




    

嫉妬心を和らげるためには、ネガティブを悪だと決めつけないこと

日々の生活の中で、自分の中にドロドロと渦巻く黒い感情が湧き上がってくることがある。


嫉妬、独占欲、嫌悪感、憎悪、劣等感、優越感、無価値感、不安、恐怖……


これらは正直、あまり感じたくないと思う感情。
向き合いたくない感情。
目を背けたくなるような感情。
自分のことをもっと嫌いになりそうな感情。


相手のことも自分のことも嫌いになりそうだし、憎くなるし、何よりも一番そんな自分のことを嫌いで憎くて許せなくなる。
その思考のループから抜け出せなくて同じところでぐるぐると停滞してるような感覚に陥る。





でも、そこから抜け出せないのは、そういう感情を悪だと自分が決めつけてるから。


そういうこと思ってもいい。
ネガティブな感情を感じてもいい。
むしろ感じきればいい。
性格悪くていい。

そう思えたら、許せる。
ふっと力が抜ける。
ネガティブとされる感情を引きずることもなくなる。




自分の中で、こんな人はダメ!こんな自分はダメ!と決めつけてるから、その"ダメ"な自分が出てきたときに自らを全否定することになる。


全否定された感情は、解消されることなく余計に大きくなってしまう。
そのときの出来事自体は時間経過とともに気にならなくなっていくけど、また同じような出来事があったときに同じループを繰り返すことになる。






振り返ってみれば、私自身だいぶ柔らかくはなった。
10年前の自分を思い出すと本当に酷かったから。


当時は嫉妬心をコントロールできなくて、夫(当時は彼氏)にぶつけまくっていた。
嫉妬するのに心底疲れて、突き放した。
それでも一緒にいてくれた。
色々あったけど、今は紛れもなくかけがえのない、絶対的な信頼を寄せる存在になってる。



今は、あのときみたいにぶつけることはなくなった。
当時なら許せなかったこと、別れていたであろうことも、受け入れられるようになった。


それでも、まだ嫉妬心も独占欲も消えてはいない。
そしてそういう感情が湧き上がるたび、夫や第三者に苛立ちを感じて、そんな自分に嫌気がさして、自己嫌悪に陥る。



なんでこんな醜い感情を持ってしまうのだろう?
なんでこんな性格悪いんだろう?

そんな風に考えては、自分の感情、存在さえも全否定してしまってたけど、そりゃあ全否定されたらいつまでも消えないよ!と言いたい。




自分にとって大切な人が悩んでるとき、辛い思いをしてるとき、自己嫌悪に陥ってるとき、どういう声かけをするか考えてみた。


"共感する"一択だった。


それが例えどんなに醜い感情であったとしても、

「そう思うこともあるよね」
「そう考えてしまうのもわかるよ」
「そう思ってしまう自分を否定しなくてもいいよ」


そういう声かけをしてた。



それで、「気持ちが楽になった」「嫌な人が気にならなくなった」と感謝されたこともある。

逆に自分が共感してもらえて、とても気持ちが楽になったこともいっぱいある。




それを、自分自身には出来てなかった。
自分のことは全否定してた。
自分のネガティブな感情は、「そんなこと思ったらダメ」と無視して蓋をしようとしてた。




そもそも、ネガティブは悪じゃない。
前にも書いた気はするけど忘れるから何回でも言う。

ネガティブは悪じゃない!




それに、自分にネガティブな感情があるからこそ、同じような感情を持つことに苦しんでる人がいたら、共感できるし受け入れることができる。

めちゃくちゃわかるもん。
苦しい気持ちが。
ぐるぐる同じところを停滞してるような感覚が。



もしそういうことを相談されたとき、「そんなこと思うの?ありえない!」と非難したり引いたりすることがないし、むしろ同じような人がいるんだなと安心する。


いろんな感情を感じられることは、いろんな人の気持ちに共感できる・寄り添えることにもなる。
そして自分に対しても、ネガティブな感情を感じてもいいと受け入れることができたら、その感情すら楽しめたら、無敵になれそうな気がする。




大前提として、他者にぶつけるのはNG。
10年前の私のように、コントロールできないほどなら別れてしまった方がいい。
どんなに突き放しても好きでいてくれた夫のおかげで今の生活があるから、夫には心底感謝してるのだけど…
結婚当初は同じような出来事での嫉妬で苦しむことが多くて、日々の喧嘩も絶えなくて、「やっぱりあのとき別れていた方が良かったのかな…」と考えることも多々あった。
今は、「別れなくて良かった」と思える未来に自分で修正していけたと思ってる。




男女間、パートナー間だけじゃなく、嫉妬心を感じることはあるだろうし、今後も色々な感情がわいてくると思う。


そのたび苦しんだり自己嫌悪に陥るけど、また必ずここに戻ってこれるように、何回でも言い続けたい。



ネガティブは悪じゃない。
ネガティブな感情を感じてもいい。

負のループに陥りそうになったら…
わきあがってきた感情を許可する。
受け入れる。
受け止める。
実況中継する。

「うわぁ〜今私めっちゃ嫉妬してるー!」
「こんなこと思ってるー!」
「そっかそっか〜そう思うのもわかるわ〜」
という感じで、脳内で独り言を言いながら共感する。





そしたらグーッと力が入ってたのがフッと抜ける。
現状は変わってなくても、不思議と気持ちが楽になる。


全部自分次第やもんね。
自分が見たいように見てるからね。






嫉妬してもいい。
ネガティブは受け入れて実況中継する!






    

群れるとロクなことがない

特に女性は、群れると本当にロクなことがない。
自戒もこめてそう思う。





今の職場は女性が多め。
噂話が大好きなお局的存在の人もいる。


誰かの噂話や陰口を聞いてしまうこともあれば、私自身が噂話の的になっていることもある。


ちょっと言動が気になるなぁと思っていた人の悪評をたくさん聞いてしまって、それからよりその人の言動が気になって、関わりたくないほど苦手な存在になったこともある。


そういうことがあるたびに、動揺したり、不快な気持ちになったり、疑心暗鬼になったり、一方の意見だけを聞いて「何それ?ひどい!」と同調してしまって、思い出しては後悔したり…


全部全部、群れようとすることがダメなんじゃないかと思えてきた。






前の職場は、女性しかいない職場だった。
私は20代前半で、自分の殻を破れない、本音を話せない、猫を被りまくっているような人間だった。
会食恐怖症だったから、年に一度の忘年会にも参加していなかった。

だから他の人達と打ち解けるのに相当な時間がかかったし、仕事でもおどおどしていたし、浮いた存在だったと思う。いや、確実に浮いていた。笑

ただ、当時最年少で年上の女性が大好き、誰の悪口陰口も文句も言わず、のらりくらりと過ごしていたこともあって、一部の人には可愛がってもらえていたと思う。その分、家では愚痴や文句を言っていたけど…。笑

ものすごく気の強い(意地悪い笑)1人を除いたら、みんな優しい。こんな浮いた存在も受け入れてくれている。この職場は女性しかいないのに、ネチネチドロドロしたところがなくて本当に素敵だなぁと思いながら過ごしていた。


ただ、段々と職場の方向性に疑問を抱くようになったことと、自分自身変わりたいという思いから退職を決めた。

退職する頃には仲良くなった人も出来て、退職後にお茶したり飲みに行ったりを定期的にするほどの仲になっていた。



その退職後の飲み会では、職場に関して初めて知ることばかりで衝撃を受けた。それは、私の知らないところではかなりネチネチドロドロしたものが渦巻いていたということ…。笑


数ヶ月だけ勤務していた気弱そうな人が、ある人をターゲットにして上の人に悪口を言いふらしたり自分のミスを全てなすりつけていたとか、

ある人と上の人との間でトラブルがあって、ある人はものすごく不当な扱いを受けていたとか、

そういう話をするために割と頻繁にスタッフ同士で飲みに行ったり食べに行ったりしていたとか……


全てが知らないことばかりで、全てが衝撃すぎて、
正直、浮いた存在で良かった!と思った。笑




知らなくていいことってあるんだな
知る必要のないことってあるんだな
と実感した。


だって、それを知ったところで自分に何が出来るわけでもないし、知ってしまうことで苦しくなったり、疑心暗鬼になったり…そんなもん精神衛生に良いわけがない。

それを知っていたらもっと早く辞めていたのか?
いや、不信感を持ちつつズルズルと続けていたかも。
現に、その職場の愚痴を言いながら今も在籍している人が複数人いるから。
感謝の気持ちだけを持って辞められて良かったと思えた。





今の職場だってそう。

不満や愚痴なんて、言おうと思えばいくらでも出てくる。
他人の気になるところや悪いところなんて、見ようと思えばいくらでも目につく。

誰かや何かのネガティブな情報を聞いてしまって、ネガティブな視点でそれを見出すと、ネガティブな部分しか見えなくなってくる。






誰だって良い面も悪い面もある。
誰だって優しい面も残酷な面もある。
誰だって真面目な面もいい加減な面もある。
誰だって正直な面も嘘をつく面もある。


それなのに、ある人の悪評を聞いて、その人の一部分だけを見て、「なんて酷い人なんだ!」と文句を言ったり悪口を言ったり、ネガティブな視点だけで見てしまうようになったりするなんて、その方がよっぽど酷い人だ。


そもそも、そんなに嫌なら離れたらいい。
離れられないなら不満を直接本人に話したらいい。
どうしても無理なら辞めたらいい。
いつまでも陰でグチグチ言う必要は1ミリもない。



大体、嫌いとか苦手だなと感じる人って、

・相手との距離が近すぎる
・相手のことを知らなさすぎる

このどちらかが多い。


相手との適切な距離を見極めることが一番で、それが"腹を割って話すこと"で好転することもあれば、"一切関わらない"という結論になることもあり得る。

その中間も勿論あって、挨拶と仕事関係の必要最低限の会話だけをすることで、相手の嫌だと感じていた部分が気にならなくなることもある。






もう同じことを繰り返して後悔するのはこりごりだ。

自分の性格の悪さに落ち込みたくない。笑



だから群れようとするのはやめよう。

他人との距離感って本当に大切。

相手のことを嫌いにならない距離感を守ろう。




見ない。聞かない。言わない。同調しない。

肝に銘じる。




   

3月の目標


3月の目標を決めてみた。



①ブログを15記事書く
②毎日5000歩以上歩く
③先延ばしリストをこなす





①について…

2月、20記事書きたいとか言ってたくせに、相変わらずブログの下書きばかり溜めて投稿できない記事が溢れている今…。笑

下書きを全部投稿したら15記事あるのだけど、なんせ書くことに慣れていないと話が脱線しまくる、オチが行方不明、結局何の話をメインでしたかったのかが謎…という現象が起きる。そもそもの目標が無謀すぎた。

3月は少し目標を落として笑、15記事書く!





②について…

仕事の日なら5000歩は余裕でいくのだけど、休みの日は1日家に引きこもったり、出かけても近所のスーパーに車で行くだけで1000歩台しかいかなかったりと、かなり運動不足になる。夫婦2人とも休みの日は特にひどい。笑

そんな中、歩くといいことがあるゲームアプリを夫婦で始めてみたら、見事にどハマりした。今は歩きたくて仕方がない状況…。
早速仕事から帰宅後、夕食を食べて片付けてから2人で1時間弱散歩をした。明日も仕事なのに、こんな元気がわいてくるなんて…。笑
出不精な自分達の変わりようがおかしくて、何回でも笑えてくるけど、ゲームアプリひとつでここまで歩きたくなれるってすごいなぁと思う。

そして出不精だけど、重い腰を上げて出掛けてみるとお互いとても楽しめるし充実感や達成感を感じられる。いつもは車でしか通らない道を歩いてみると、車では気付けなかったものに気付けたり、車では通れない道に入れたり…。新たな発見やワクワク感がある。

歩数という数字で達成感も得られるし、体も温もって運動不足が解消されてゲームも楽しめて、一石三鳥どころではないほど良いことづくし!

夏は暑さもさることながら虫が怖くて外を歩きづらくなるから、今のうちにいっぱい外を歩いておこうと決めた。笑





③について…

前回の先延ばしにしていたことリストは、本を売る&読み切ること以外は完了した。それだけでも、やっとこさ取り掛かれたりこと・自分で行動して終わらせられたことで得られる清々しさは格別だった。

本に関しては、なかなか古本屋に行くタイミングがなく…捨ててもいいのだけど、とても綺麗な状態だから抵抗がある。
かといってもう手元に置いておきたくはないものだから、これを手放せたらもっと心が軽くなるだろうな。
3月中には必ず行く。

そして今の先延ばしリストが終わったとしても、絶対にまた何かしら先延ばしにしてしまうことが出てくると思うし、今気づいていない・思い出せていないだけで先延ばしにしてることがあると思う。
頭に浮かんできたり思い出したりしたら、その都度それを忘れないようにメモして、3月中に終わらせる!ということを徹底する。










もう3月かー…


色々あるし、色々考えるけど、とにかく目の前のことに取り組もう。目の前の人を大切にしよう。

めんどくさいと思えることは幸せなこと

家事めんどくさい
料理めんどくさい
掃除めんどくさい
仕事めんどくさい
化粧落とすのめんどくさい
お風呂めんどくさい
身支度めんどくさい
買い物めんどくさい




……………ゲシュタルト崩壊が起きる。笑




こんな感じで、生活の中で「面倒臭い」と思う場面っていっぱいあるけど、

"面倒臭いと思えること"
"面倒臭いと思うことをできる時間"

って幸せなんだなぁとふと思った。



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世界のニュースを見て、平和が当たり前ではないことを思い知って、他人事ではないことに恐ろしさを感じるとともに、
日常のなかでしょっちゅう「めんどくさいな…」と思いがちな自分が急に頭に浮かんできて、なんてちっぽけなのかと思えてきた。



でもふと、そう思えることってなんて幸せなんやろう…と。



その日常"めんどくさい"と感じることが当たり前に出来る状況だからこそ、「めんどくさい」と思えるわけで。

当たり前に出来なくなる状況(戦争・災害・病気等)になったときのことを想像すると、

面倒臭いと思える余裕があること
面倒臭いと思うことに取り掛かれている時間

これがいかに豊かで幸せな時間だったのかと改めて実感する。


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腹痛で悶え苦しんでいるときに日頃の行いを反省するのと同じように、体調を崩してるときに働ける有り難みを痛感するように、
これからはめんどくさいな〜と思うたびに、
豊かで幸せな時間を過ごせている今に気付こう。






腹痛のときにする反省会も、体調不良のときに感じる日常の有り難みも、今の当たり前が当たり前じゃないということも、元気になるとすぐに忘れてしまう。


でも、"めんどくさい"と思うことって、元気だからこそ、平和だからこそ、それが当たり前になっているからこそ思えるわけで、常日頃思うことだから気づきやすい。




「めんどくさい」と思うたびに、そう思える時間・それに取り掛かれる時間の豊かさを感じられたら、毎日幸せを感じられる瞬間が膨大に増えるな。




物事は捉え方次第。




めんどくさいこと、毎日いっぱいやろう。







   

モヤモヤから抜け出すために、先延ばしにしていることをリスト化する

昨日のブログに引き続き、見て見ぬフリをしてるもの、先延ばしにしていることをリスト化してみた。




・玄関の外側の拭き掃除
・トイレの手洗い場の掃除
・冷蔵庫内掃除
・窓の拭き掃除&ベランダ掃除
・誤送された郵便物を出しに行く
・買ってから読んでいない本を読む
・もう読まない本を売りに行く
・半年以上会っていない義父に会いにいく
・使用済み電池を回収ボックスに持っていく






書き出してみると結構出てきた。笑

昨日見て見ぬフリをしてたものを片付けたことで、家の中で先延ばししてる物事に気付けるセンサーが鋭くなった気がする。

毎日の掃除をしてる中で、「あぁ、ここだけずっと掃除サボってたな…」「あっ、ここに使用済み電池置きっぱなしやった」と、見て見ぬフリが当たり前になってたことに正面から向き合えるようになってる。笑




今日は早速、仕事から帰宅後に玄関外側とトイレの手洗い場を拭き掃除した。

トイレ掃除はほぼ毎日するのに、トイレの手洗い場は使うことがなくて洗面所で手を洗うから、触れることがなく放置してしまってた。うっすらホコリが積もってることに気づきながら…

玄関外側も、この家に引っ越してきて半年が過ぎたけど一度も拭いてなかった。
玄関の内側は、ドアも靴箱の中もたたきも靴底も拭き上げてたのに、外側の掃除をするのがなんとなく気乗りしなくて避けていた。

どっちの掃除も、やってみたら1分もかからないくらいで終わった。そんな簡単なことをずーっと、「しないといけないなぁ…」と思いながら放置してたんだな…。
そんなことを頭の片隅に抱えながら過ごしてたら、そりゃあ他のことに対してもやる気なくなるよね。

そして、たった1分やっただけなのに、やっと取りかかれたことで達成感がすごい。心の重りが取れていくような感覚になった。






今日は2つできたから良しとして、今から本を読み進めるとともに、他の物事も1週間以内に全部終わらせると決めた。

義父には昨日電話をして、土曜日に会いにいく約束を取り付けたし、その流れで不要な本を売りに行くことにした。
金曜日から寒さが和らぐから、それ以降に窓拭きとベランダ掃除をしよう。





これが全部終わったら、今よりもっと清々しい気持ちになってるだろうし、今の時点では気づけていない"見て見ぬフリしてる・先延ばしにしてる物事"に気付けるようになってるかもしれない。





"モヤモヤする現状から抜け出したい"
"気力や体力をつけて行動力を上げたい"


そう思うなら、まずは先延ばしにしてることをリスト化して、片っ端から片付けていこう。