アラサー子なし主婦のつぶやき

日々気づいたこと、学んだこと、ゆるゆると書いていきます

負のループから抜け出す方法


気づいたら2022年が半分終わってた。


いや〜恐ろしい。時が過ぎるのが早すぎて…。


前回ブログを書いたのが3月末って…
サボりすぎててびっくりした。






何を書けばいいのかわからないくらい、何事もなく過ごしてると言えば聞こえはいいけど…


相変わらず
先を考えてどうしようもない不安感に支配されたり
自分からイライラを拾いにいったり
なんとも言えない焦りが出てきたり
強烈な劣等感を感じて自己嫌悪に陥ったり…


かと言って行動するわけでもなく
本当にぱっとしないまま時間だけが過ぎていって
それにまた焦りを感じるという負のループ。





抜け出す方法はわかってる。
とにかく動くしかない。





不安やら焦りやら劣等感やら
そういう無駄なことを考えずに済む時間は
とにかく何かしら行動してるとき。





家の中なら
掃除をしてるとき。
運動をしてるとき。
テキパキと料理をしてるとき。



外なら
仕事をしてるとき。
自分が行きたいと思った場所に行けてるとき。
やりたいと思ったことを実行できてるとき。




そういうときには不安とか焦りとか劣等感って浮かんでこない。忘れられてる。



結局自分には暇がありすぎるってことだな。
動いてない・動けてない時間が多いほど、そういう感情に支配されやすくなる。









まずはおうち時間の過ごし方を見直そう。



適度な筋トレ!
毎日の掃除箇所を増やす!
いつもよりちょっと品数&品目増やした料理!



毎日暑すぎて家での時間が増えそうな今からこそ、取り組んでみよう。






2022年の後半は、負のループから抜け出す。

歩く習慣が身について感じたこと



3月最終日。


今月は、恐らく今まで生きてきた中で一番歩いた月になった。


スマホアプリで歩数を見れるようになってから、1ヶ月の累計歩数が30万歩を超えたのは初めて。


出不精な自分が、1ヶ月も継続してこんなに歩けたんだ!と驚いてる。







今月の目標として、『1日の歩数を5000歩にする』と決めたことを、習慣化出来たと感じてる。

3日だけ5000歩以下になった日があったけど、平均すると1日10000歩近く歩いたことになる。








1ヶ月歩き続けて変わったことと言えば…





①体力がついた

②不安や恐怖に支配される時間が減った

③行動力が上がった






主にこの3つかなと思う。








体力がついたと感じるのは、休みの日にたくさん歩いても翌日の仕事が辛くなくなったこと。

今までは、仕事の日は結構歩くけど、休みの日は酷いと1000歩も歩かないことも…。

それが通常だったから、たまに珍しく休みの日に出かけてたくさん歩くと、翌日仕事の日に疲れが残ったり、足が重だるくなったりと支障が出てた。



それが今となっては、なんの支障もない。
疲れが残る感じもなくなった。


連日、1日の歩数が15000歩を超えてくると、さすがに体がどこかしら痛くなってきてたから、やっぱり1日の歩数は7000歩〜10000歩くらいまでが丁度良さそう。





不安や恐怖に支配される時間が減ったのは、よくよく考えたら今月はそんな感じだった気がするなぁ…と。


元々人一倍不安感や恐怖心が強い人間だから、自分比でしかないけど、歩くことが増えてマインドフルネス的なことが出来たおかげで、いつもよりはそういう感情に支配される時間が少なかったように思う。





行動力に関しては、とりあえず歩きたいから散歩したり、買い物行くのが億劫でも歩数を稼ぎたいから行こう!と思い立って動けたり、初めて行く場所に行ってみたり、引きこもった日でも家の中で歩き回ったり……

今までが出不精すぎるがゆえに、自分の中ではかなり大きい進歩だった。笑







そもそもなぜそこまで継続して歩けたのか?というと、とあるゲームアプリのおかげ。


歩くことで報酬が貰えたり、レベルが上がることが嬉しくて、今日は億劫だなぁ…と思う日でもゲームのためならと、晩ご飯を食べてから眠くても歩いたりした。笑


最近は夜毎日は歩かなくなったけど、休みの日に全然歩かなかった自分が積極的に歩くようになれて、アプリに感謝してる。








歩くことは心身の健康のためにも素晴らしいこと。


これからも継続していこう。





   












    

『海と毒薬』


昨年の冬から積読になっていた本…
遠藤周作さんの『海と毒薬』。



この本を買ったきっかけは、好きなインフルエンサーさんが「遠藤周作さんの文章が好き!深い河が良かった」と言っていて、当時読書習慣をつけたかった自分は読んでみたくなった。



古本屋さんに本を売りに行った待ち時間で、『深い河』を探して見たけど見当たらなくて、でも遠藤周作さんの本が気になって、何冊かあった中からなんとなく『海と毒薬』を買って帰った。





とはいえ、実話を元にしたかなり重いテーマで、なかなか読む気にならず…今の今まで積読になってた。






3月の目標として、積読を片付けることを掲げていたのに、あっという間に時は流れて3月も終わろうとしてる…。笑



昨日ブログ記事を書いた後に気合いを入れて読み始めたら、止まらなくなるほど小説の中に引き込まれた。



もう、吐き気がするほど、鼓動がはやくなるほど、胸の奥がずーんと重たくなるのを感じるほど、眠れなくなるほど、その世界に引き込まれた。


まだ半分も読めていない時点であまりに鬱々とした気持ちになって、夜に読んだことを後悔するほど…。笑








そしてお風呂休憩をはさんだのち、夜中まで読み続けたけどまだ読み終えてはいない。



それでもものすごくいろんなことを考えさせられて、ぐるぐると自分の頭の中を掻き回されてるような感覚になってる。






自分の存在って、人の存在って、何なんだろう…と、得体の知れない不安というか不確実さというか、いろんな物事の善悪とか正誤とか今まで信じてきたものを揺るがされたような、なんとも言えない感情になる。





サイコパスっぽい登場人物の幼少期の話…


大人から見た良い子を演じる、
褒められるための文章を書く、
周囲から賞賛されるためだけにしていた行動を正当化するために、誰にも知られないように良い行いをしてみたときの虚しさ、
罪を犯したことへの罪悪感はなく、周囲にバレたり非難されることだけに感じる恐怖心、
罪がバレることなく罰せられることがなければ、安堵して罪の意識は薄れていく心……



程度の差はあれど、誰しもそういう面はあるのだろう。


自分のことも振り返って、自分のそういう面に恐ろしさを感じた。









いや、まだ6割ぐらいしか読めてないのだけど…。笑





ここまで積読にしてたけど、『海と毒薬』の続編らしい『悲しみの歌』も読みたくなってるし、遠藤周作さんの他の本も読みたくて調べまくってる。






今日は3月最終日。


仕事と買い物のあと、読み切れるかはわからないけど、ずっと読まねばと思っていたものをだいぶ読み進めることが出来て良かった。

それも今は「読まないといけない」じゃなく、「早く読みたい」になってる。



なんでもやり始めるまでは億劫で気乗りしなくて大変だけど、軽くでもやり始めてしまえば、トントンと進んでいくということを実感する。笑








あぁぁーー早く帰りたいな。




    

イライラ・不快な感情を自分から拾いに行かない


テレビやネットニュース等で見かけた、自分とは考え方が異なる意見の人に文句を言ったり

この人嫌い…と思う芸能人のことを調べてみたり

出不精な自分よりもっと出不精な夫に不満を感じたり

家族よりも飲み会や仕事仲間最優先な既婚者を非難したり

おかしい!それは間違ってる!と思うことや、悲惨な事件を調べまくったり………





そういう行動って、自らイライラしにいってるし、不快な感情を拾いに行ってることになるんよね。







無意識でも、日々たくさんやってしまってるなと気づいた。









自分だって、自分の考えを否定されたくないのに。

誰もが自分の中の正義を守りながら生きてるから、正解なんてどこにもないのに。

全部正しいし、全部間違ってるのに。

夫含む他人が日々どう過ごそうが、何を優先しようが、それはその人の自由なのに。






つい、自分が正しい!相手が間違ってる!と言いたくなる。

自分の正義を押し付けたくなる。








わざわざそんなことしなくても、自分だけが自分の中で自分の正義に従っておけばいい。

誰かが自分とは異なる意見を発信しようが、その結果その人が炎上していようが、自分には微塵も関係がないのだから、わざわざニュースを開かなくていい。

嫌いだと思う人のことを見に行かなくていい。

自分が外出したいなら、一人で出掛ければいい。

家庭をないがしろにして夫婦仲が悪くなってる人は、その人の家庭の問題だから放っておけばいい。








嫌な感情になることを自ら拾いに行って、
勝手にイライラして、
勝手に不快になって、
勝手に文句を言って…………






何してるねん!!!!


そんなことしてる場合か!!!!


そんなことしてる暇あるなら積読を片付けろ!!!笑










情報を拾いにいくなら、


・自分が穏やかな気持ちになれるもの
・自分が楽しい気持ちになれるもの
・自分がほっこりできるもの
・自分にとって有益なもの


を選ぼう。





イライラさせられてるんじゃない。
不快な気持ちにさせられてるんじゃない。


自分がそれを選んで、自分で拾いにいってるだけやで。






    

寝る前にした方がいいこと

今、すごく眠たかったはずなのに、今日初めて行った美容院でのことを思い返してたらモヤモヤしてきて眠れなくなってた。



あんまりカウンセリングしてくれなかったな…とか

こっちの話を聴く姿勢が感じられなかったな…とか

既に知ってることを一方的に語られたな…とか

色々雑だったな…とか

あんまり梳かないって言ったのにめっちゃ梳かれたな…とか

梳きバサミの切れ味悪かったよな…とか

そのせいかトリートメントしたのに髪の毛パサパサなったな…とか

そんな人から高いトリートメント買ってもうた…とか




とかとかとかとか…笑



もう書き出したらキリがないくらいモヤモヤすることが浮かんできて、モヤモヤざわざわしてたのだけど




そんなときに、持病のある知り合いの方がむかーし言ってた言葉が急に頭に浮かんできた。




それは、


寝る前は絶対にその日良かったことだけを思い出すこと。

今日1日を無事に終えられたことに感謝すること。

どんなことがあっても、今日1日生きられて幸せだったなと思いながら眠りにつくこと。

もしそのまま目覚めることがなかったとしても後悔しないように、自分の人生幸せだったなと思えるように、必ず良かったことを思い出して、一日一日に感謝すること。







この言葉が急に思い浮かんできて、ハッとした。




そうだった。

感謝を忘れてた。

今日の良かったことをすっ飛ばしてた。






・気になってたメーカーのサロン専売品を体験できた

サロン専売トリートメントを買えた

・4ヶ月サボってた美容院にやっと行けた

・次回はないにしても、ずっと気になってたところに行けて良かった

・予約してた値段から更に割引してくれて得した気分になった

・サロンの居心地は気負わずに居れるところで良かった

・ヘアカラーに関しては理解してくださってた

・トリートメントも押し売りされたわけじゃなく、自分が欲しいから、気になってたから買った

・トリートメントを使ってみて、今のところ口コミほどの感動はないけど、使用感や香りは好きだし、もし今日買わなかったら買ってないで絶対後悔してた

・美容院ついでに歩いたことがないところを歩けて楽しかった

・美容院ついでにずっと行きたかった懐かしの場所に行けて良かった

・めちゃくちゃ好みのカットソーを買えた

・夫が好きなシュークリームを買って帰れた

・シュークリームがめっちゃ美味しかったし夫も喜んでくれた

・見て見ぬふりしてた洗濯機パンの掃除ができた






等々……………





良かったこと、幸せを感じたこと、ラッキーだと感じたこと、達成感を感じられること…

今日1日だけでもいーーーっぱいあった。




それなのに、美容院での不快に感じた一部分を切り取って、そこだけを思い出して、モヤモヤ反芻して、まるで今日1日が全部ダメだったかのような思い込みをして…………




なんて勿体ない!!!!!!!






髪の毛はすぐに伸びるし

今は伸ばしてるからまたしばらく行かなくて済むし

前に行った美容院が梳きバサミを使わずに量を取ってくれて、髪の毛の収まりも良くなって、あの美容師さんの凄さを改めて理解できたし

今日の美容院も気になってたから行けて良かったし

希少なメーカーのトリートメントを買えたし…



はじめての場所、人、物と出会えたことを考えると、良かったことしかないくらい良い1日だったと捉えることもできる。




起きたのは同じ出来事でも、

嫌だったことだけ掘り起こしてモヤモヤを増幅させて、眠れないほどざわざわすることもできれば、

初めてのこと尽くしの刺激的な良い1日だったと捉えて、達成感に満ちた気持ちでほっこり眠りにつくこともできる。


視点が変わると心境も一気に変わる。 









寝る前にはその人の言葉を思い出そう。




その日良かったことを思い出す。

1日を無事に終えられたことに感謝する。

目が覚めなくても後悔しないように、幸せな気持ちで眠りにつく。









今更ながら、そのお方に感謝です。





   

厄年とか風水とか家相とか占いとか、都合の良いことだけ信じておけばいい





世の中には、人の不安感や恐怖心を煽って儲ける商売がたくさんある。

厄年、風水、家相、占い、その他諸々…



「今年は厄年だからお祓いしないと…」
「厄年だからこんな嫌なことばかり起きるんだ…」
「この家は家相が悪いから不幸が起きる!」
「これは風水的にNGだから家族仲が悪くなる!」



等々言うけど…


そんなもん全部関係ないわ!!!と思う。






『金銭が発生した時点でそれはもうビジネス』


ある人の言葉にハッとした。


そっか!そういうことだったんだ。
このモヤモヤしつつも言葉に表せなかったものは。


やれ不幸になる、やれ恐ろしいことが起きる、と人の不安や恐怖心を煽って、お守りや幸運グッズを購入させて儲ける。

お金のやりとりが発生してる時点で、それはもうビジネス以外の何物でもないのだ。




厄年も風水も家相も、
その他宗教やスピリチュアル等も…
自分が勝手に信じてる分にはいいし、お金を払って安心を買ってるのだという自覚があるならいいと思う。



ただ、それを他人に押し付けるのは違う。


わざわざ人の家に行って、聞かれてもないのに「あなたの家は家相が悪いからダメ。悪いことが起きる」と言ったり、

厄年と言われてる年を迎えた人に、「あなたは厄年だからお祓いに行かないとダメ。そうじゃないと大変なことになる」と言ったり、

身内に不幸があった人に対して、「あなたが○○を信仰していないからこうなったのよ」と言ったり…

そういう押し付けは本当に勘弁してほしい。



これは私自身が誰かから言われたわけではなくて、私の知り合いが他人から言われたことがあるらしいのだけど、こういうことを言う人って本当に居るんだな…とドン引きするとともに怒りを感じた。




人の不幸に漬け込んで色々言ってくるのは論外だし、わざわざ人を不安・不快な気持ちにさせるようなことを言うのも余計なお世話だし…


自分の身近にいる人で、そういう類のことを信じてる人ほどいつも愚痴ばかり言って不幸そうに見えるのも、《なんだかな〜…》という気持ちになる。






かく言う自分も、元々不安感や恐怖心が強い人間だから、ふとしたときにそういう情報に触れてしまうと、信じていなくとも不快な気持ちになる。


だから、そういう類のものは自分に都合のいいことや前向きな内容だけを信じることにした。


『○○をすると運気アップ!』みたいな話は元々好きだから、そういう情報は取り入れる。

でも、『家の北側が◯◯だと不幸になる』みたいなどうしようもない&良くない情報は信じない。






それで言うと、昨年引っ越してから住んでる今の家は、家相的には最悪な家。笑

鬼門に水回りやら玄関やら…とにかくすごい。


風水やら家相やらを気にする親戚が家を見に来る可能性があったから出来心で調べてみたら、家相的にはとんでもなかった。

内見のときに「もうここしかない!」と思うくらい気に入った家だったから、入居前にあれこれ調べて嫌な気持ちになりたくなくて、あえて何も調べずに昨年引っ越しした。
そして引っ越し後に調べたら……という感じ。笑





じゃあ引っ越しして私達夫婦は不幸になったのか?と言うと…





全く不幸にはなってないし、それどころか生活の質が爆上がりして、引っ越し前よりも格段に快適な暮らしが出来てる。



前の家は、風水家相を気にする親戚いわく良い間取りだったらしいけど、色々と不便・不備・不安なことが多すぎて、毎日ストレスを感じてた。

そのストレスが今の家では一気に解消されて、心が軽くなって、日々のストレスの積み重ねの恐ろしさを実感した。






とはいえ、引っ越してからも日常で「ツイてないな」と思うこともあるし、「なんで自分が?」と愚痴りたくなる日もある。


そしてそれを「家相が悪いからだ」とか「風水的に良くないからだ」とこじつけてしまうこともできる。


冷静に考えたら引っ越し前もそんな出来事は山程あったのに、そういう視点で物事を見てるとそうとしか思えなくなってくる。
なんでもかんでも、「不幸なことが起きるのは◯◯のせいだ」とこじつけたくなる。





そもそもの話、起きた出来事自体を"最悪だ"と捉えるのか、"不幸中の幸いだった"と捉えるのか、"これのおかげで◯◯に気づけた"と捉えるのか、それすらも自分次第でしかない。


どんな間取りの家に住もうが、厄年だろうが、どんな信仰をしようが…自分の幸不幸を決められるのは自分だけやもんね。




前の家だって、私にとってはストレスに感じることが多すぎてツッコミどころの多い家だったけど、同じところに住んでいても何らストレスを感じない人もいただろう。




目に見えない、不安を煽るようなことを間に受けてしまうのは勿体ない気がするけど、自分自身が身をもって体感してるストレスはできる限り減らしていきたい。


だから、いくら家相や風水的に悪かろうが、引っ越しは大正解だったと思ってる。








全部信じたら負けだと思って、笑
ほどほどに、都合のいいことだけ取り入れよう。




  

"苦労は買ってでもしろ"の意味

「苦労は買ってでもしろ」という言葉がある。


「今までの人生、打ちのめされるような挫折をしたことがない」と言う人に対して、苦労は買ってでも〜というような言葉を持ち出しては、「それは良くないよ」「絶対挫折は経験した方がいい」と指摘する人がいたのだけど…


苦労は買ってでもしろって、別に打ちのめされるような挫折を経験しろという意味ではないよなと思う。





苦労=辛くて苦しくて打ちのめされること

だけじゃなくて、

・めんどくさいな〜と感じること
・しなきゃいけないな〜と思ってること

そういうことも"苦労"に含まれる。




だから、"苦労は買ってでもしろ"というのは、「めんどくさいな〜とか、しなきゃいけないな〜と思ってることは、今やっておいた方が後々楽できるよ!」という意味でもある。
どちらかというと真意はそっちな気がする。





実際、「今までの人生、打ちのめされるような挫折を経験したことがない」と言ってる人も、実は色々経験してきてる。


長く関わってきてよくよく話を聞いてみると、トラウマになってもおかしくない過去があったり、辛く悲しい経験も悔しい思いもたくさんしてきてるのだけど、そういうことを一切引きずらない思考回路を持ってるだけだった。


仕事に関しても、大多数の人間は苦痛に感じたりストレスを感じるようなことでも、その人はなんら苦痛に感じることなくやってのける。
「嫌じゃないの?」と聞いても「別に何も思わない」と。


面倒な業務も後回しせず、その日のうちに効率よく片付けていく。
後回しにしてる人は月末に大変な思いをしてるけど、その人は都度片付けてるから月末バタバタすることもない。


その人は、挫折になりかねない経験を挫折だと感じない思考回路を持ってるだけ。
苦労(めんどくさいこと、しなきゃいけないこと)は、すぐ取り掛かってるだけ。


そう考えると、その人はメンタル的にも人間的にも最強な気がする。





逆に、説教くさく「挫折を経験しないとだめだ」と言ってくる人は、過去に自分がいかに大変な思いをしたかを自慢げに語ってきたりする。

自分も過去に苦労(辛くて苦しい思い)をしたからと、下の世代にも同じ"苦労"をさせようとする。


これって何歳であろうと老害じゃないか。
そうはなりたくないな。




どちらの人が周りの人から慕われているかを見ても一目瞭然。
どちらの人が生きやすそうかを見ても一目瞭然。




慕われている人・生きやすそうな人の思考回路や行動はなかなか真似できるもんじゃないけど、私は"苦労=めんどくさいこと"という捉え方をして淡々とこなしていける人になりたい。









とはいえ、そういう「苦労しろ!」という考えをを押し付けてくる人達もまた、今まで上の人達から押し付けられてきたんだろうなとは思う。


それが当たり前。それが一人前。
それを刷り込まれてるだけ。


そう思うとやっぱり嫌いにはなれないな。






何の話?ってなってくるけど…笑


苦労(めんどくさいこと)をどんどんこなしていこう。