アラサー子なし主婦のつぶやき

日々気づいたこと、学んだこと、ゆるゆると書いていきます

なりたい自分になれない理由

 

頭の中で描く理想の自分…

常に健康体でフットワークが軽くて

朝はパチっと気持ちよく目が覚めて

起きた瞬間からテキパキと動けて

家事も掃除も流れるように終わらせて

休みの日でも午前中からお出かけして

栄養バランスの良い食事を摂って

毎日適度に筋トレして

仕事はバリバリフルタイムでも働けて

夫と同じくらいお金を稼いで

欲しいものは躊躇なく罪悪感なく購入できて

女性らしい気分の上がる服装を堂々と楽しんで

夜は早めにお風呂に入って

日付が変わる前に就寝する………

 

こんな人になりたいと考えるし憧れる。

 

でも現実の自分は真逆で

見事なまでに真逆で

理想とのギャップが大きすぎて

自己嫌悪に陥ったり焦りが出てきたりする。

 

自己嫌悪するくせに同じことを繰り返す。

自己嫌悪するくせに変われない。

"何故なりたい自分になれないのか?"

その理由は、

"本当になってしまったら大変だから" が答えらしい。

 

私の場合はどうか?

もしなりたい自分になってしまったら…

今よりダラダラ過ごせる時間がなくなってしまう。

今よりいっぱい家事掃除料理をこなさなければいけなくなる。

今より家に居られる時間が短くなる。

今より一人で過ごせる時間が短くなる。

今よりいっぱい働かないといけなくなる。

今よりいっぱい動かないといけなくなる。

今より髪型もメイクもきっちりしないといけなくなる。

 

そう、とにもかくにも

今よりめちゃくちゃ行動しないといけなくなるのだ。

それが嫌だから

めんどくさいから

今が楽だから

今が快適だから

なんやかんや考えつつも実は現状を変えたくないから

だから体調が良くなってしまったら困るし

予期不安が出てくるし

動かずに自己嫌悪しておけばいいし…

 

こうなりたいなという理想を抱きつつも実は

・今のままの自分でいるメリットが大きすぎること

・なりたい自分になるデメリットが実は大きいこと

これが、なりたい自分になれない本当の理由なんだって。

 

 

確かにな…

ほんまやな…と

ぶんぶん頷きながら納得した話。

 

でももっと長期的な視点で考えたとき、

このまま行動せずに変わらないことで起きる

デメリットの大きさにも気づく。

「面倒臭い」を理由に、

今のままぐうたらぐだぐだ

なんとなく毎日を過ごして

歳を重ねていく恐ろしさを考えると

やっぱり今、人生で一番若い今、

行動しなければ激しく後悔するだろうな。

 

人はデメリットの大きさに気づくと動けるらしい。

例えば歯磨きは面倒だけど

歯磨きをしないことで感じる不快感や

虫歯や歯周病になるデメリットが大きいから

それを無意識でわかってるから

面倒でも毎日毎日当たり前に歯磨きをする。

目先の楽さを取って歯磨きせずにいたら

口の中の気持ち悪さだけじゃなく

周りへの迷惑、病気、歯を失う等…

デメリットが大き過ぎる。

 

だから、いつまでも動けないで自己嫌悪してるなら

動かずにいることで生じるデメリットを考えるといい。

そして自己嫌悪してる暇があるなら

1ミリでもいいから行動すること。

 

家にいるなら家を徹底的に掃除してみる。

いらないものは処分してみる。

いつもより品数多くご飯を作ってみる。

初めての料理に挑戦してみる。

いつもより早くお風呂に入ってみる。

いつもより早く寝床についてみる。

いつもスマホばっかいじってる時間を

読書の時間にしてみる。

いつもダラダラゴロゴロ過ごす時間を

日記でもなんでもいいからアウトプットする時間にしてみる。

 

 

今のままで本当にいいのか?

数ヶ月後、数年後、後悔しないのか?

 

後悔しないと思えるなら

もう今の自分を受け入れてしまえばいい。

自分を責める必要も焦る必要もない。

それも自分が決めること。

 

後悔すると感じるなら

今は多少しんどくても面倒でも

なんでもいいから行動に移す。

こうやって文字に書き起こすでもいい。

まずはダイニングテーブルの上だけピカピカにするでもいい。

不要なものを処分するでもいい。

 

 

長期的に見てデメリットが少ない方を選ぼう。

 

 

 

 

勝手に頑張りすぎて勝手にしんどくなっていないか

 

仕事にて、

なんだかものすごく疲れた…

ものすごくイライラした…

ものすごくストレスが溜まった…と感じた今日。

ふと考えてみたら

誰にも頼まれてないのに

勝手に一人で頑張りすぎて

勝手に一人でしんどくなって

勝手にストレス溜めてイライラしてたことに気づいた。

 

・真面目と言われるタイプ

・融通が利かない

・他者に頼らず全部自分でやろうとする

・完璧主義

・他人の目や評価を気にしすぎる

 

↑に当てはまる人あるあるなのかも…と思うこと。

 

勝手に頑張りすぎて、勝手にしんどくなってない?

しんどいとき、いっぱいいっぱいになってるとき、イライラしてるとき、ストレス感じてるとき…

それは誰かに強制された?

されたとして、出来ないことはきっぱり断った?

他に頼れる人はいない?

他の人に任せる方法はない?

それはほんまに自分一人で頑張らないとあかんこと?

そんなに急ぐこと?慌てること?

そんな細かいとこまできっちりやる必要ある?

時間内に終わらすには妥協も必要じゃない?

他人にどう思われるか気にする必要ある?

……………………

いろんな疑問が浮かんでくる。

 

結果、

あぁ、誰にも頼まれてないのに勝手に頑張ってた。

勝手に急いでた。

勝手に完璧を追い求めてた。

勝手に自分を追い込んでた。

勝手にしんどい思いしてた。

全部自分なのだということに気づく。

 

そんなに焦らなくていい。

そんなに急がなくていい。

そんなにきっちりしなくていい。

そんなに我慢しなくていい。

そんなに抱え込まなくていい。

もっと他の人に頼ってもいい。

もっといい加減でもいい。

 

心の中でそう思うようにしたら

ふっと心が軽くなった。

 

あまりにも仕事量が多すぎて、そうはいかない場面もあるかもしれないけど…

そういうときこそ、妥協点を見つけたらいい。

全部きっちりやってたら絶対に時間内には終わらんから。

それをわかってて割り当てられてるとさえ思うから。

それなら妥協してでも手を抜けるところは抜く。

自分の仕事は職人じゃないから

完璧にきっちり美しく仕上げることよりも

ある程度手を抜いて時間内に終わらせる方が良かったりする。

きっちりしなければ…と

無意識で勝手に自分を追い込んでるから

作業に必要以上に時間がかかるし

イレギュラーが起こったときや話が長い人につかまったときに時間を取られてイライラするし

時間内に仕事が終わらないことにもイライラするし…

悪循環にしかならない。

 

いつも100%全力ではすぐに電池切れを起こす。

省エネでいけるところは力を抜いていこう。

自らストレス増やさなくていい。

 

仕事中、

「しんどい!」とか「イライラする!」と思ったら

自分で勝手に自分を追い込んでいないか?

自問して客観視するクセをつけよう。

 

 

 

全人類、ひとり残らず偏っている

 

今この世界に存在する全人類

ひとり残らず全員が偏った思考を持ってる。

100人いれば100通りの

それぞれの"当たり前"があって

それぞれの"間違ってる"がある。

それぞれの"幸せ"があって

それぞれの"不幸"がある。

 

結婚するのが当たり前。

子どもを産むのが当たり前。

家を買うのが当たり前。

男は外に出て働くのが当たり前。

女は家事炊事するのが当たり前。

正社員で働くのが当たり前。

出世を目指すのが当たり前。

ワクチン打つのが当たり前。

 

と考える人がいれば、

 

結婚するのは間違ってる。

子ども産むのは間違ってる。

家を買うのは間違ってる。

男だけが外に出て働くのは間違ってる。

女だけが家事炊事するのは間違ってる。

正社員で働くのは間違ってる。

出世を目指すのは間違ってる。

ワクチン打つのは間違ってる。

 

と考える人もいる。

 

結婚を幸せと捉える人もいれば

結婚は不幸だと捉える人もいる。

子どもを産み育てることが幸せだと捉える人もいれば

子どもを産まないことが幸せだと捉える人もいる。

子どもがいない人を不幸だと言う人もいれば

気楽で幸せそうだと言う人もいる。

家を買うことが幸せだと思う人もいれば

家を買わないことが幸せだと思う人もいる。

 

どっちが正しいも間違いもない。

優れてるも劣ってるもない。

多数派・少数派はあるけど

何を良しとするのかはその本人次第。

 

柔軟な考え方をしたい、極力ジャッジしたくない、

と頭の中では思ってる自分がいるけど、

確実に自分も物凄く偏ってて

自覚してる部分もあれば、できてない部分もある。

 

無意識のうちに自分以外の他人に対して

自分の中の"当たり前"や"正義"を押しつけて、

"優劣"や"幸・不幸"を決めつけて、

怒ったり憎しみを持ったり

優越感や劣等感を感じたり

羨んだり哀れんだり…

常に無意識下で偏った思考を持って

偏った決めつけや判断をしてる。

 

自分の中の当たり前を否定されたり

優劣をつけられたり

幸不幸を判断されるのは大嫌いやのに…

自分も必ず他者に対して同じことをしてる。

気づかんうちに。無意識のうちに。

そして何よりも無意識下では

自分が自分を否定してるし

自分が自分に優劣をつけてるし

自分が自分の幸不幸を判断してる。

だから他人のそういう決めつけた言動に

傷ついたり腹が立ったりと

過剰に反応してしまう。

そもそもは自分が何も判断してなければ

他人にどう思われようが

何を言われようが関係ないんやから。

結局は『全部自分次第』というところに戻ってくる。

 

 

今こうやって気づけてたとしても

絶対にまた忘れて

他人の言動に傷ついたり腹立てたり

他人に対して良し悪しや優劣を決めつけてしまうことがあると思う。

そのたびに思い直せばいい。思い出せばいい。

全人類、ひとり残らず偏ってるということ。

自分だけが変な人間じゃない。

なんとなく勝手にまともだと感じてる人も

もれなく全員変な人間だ。

その「まとも」だって、自分の主観でしかない。

自分の「まとも」は

誰かにとっては「異常」かもしれない。

自分が「異常」だと思ってる人も

誰かにとっては「まとも」かもしれない。

 

良不良、優劣、正解不正解はわからんけど

ひとつだけ確実にわかってることがある。

自分とは意見が異なる他人を

「この人は間違ってる!」と否定したり

怒ったり傷ついたりする時間は

本当に無意味だということ。

そもそもみんな違って当たり前なんやから

自分のことも他人のことも判断しない。反応しない。

アドラー心理学でも同じようなこと言ってる。

 

その瞬間、怒りや傷ついた感覚を持つのはいい。

「自分は今そう思ってるんだな…」と

自分に湧き上がった感情を受け入れる。

ただ、その感情を引きずることは本当に無意味で

引きずったところで

「あの人は間違ってる」「あの人は悪い人だ」

と嫌な気持ちを増幅するだけで

なんの解決にもならないどころか

人間関係が悪化する一方やから。

主観であっても、

この人嫌だなと感じたら離れたらいいし

心地良いなと思うなら一緒にいればいい。

負の感情を他人にぶつける必要はないし

他人を説き伏せようと躍起にならなくていい。

自分には自分の考えがあるように

相手には相手の考えがあるからね。

自分が他人の考え方を変えてやろうなんて

自惚れてはいけないよー。

こう書くととても単純な話。

いつも複雑に考えてまうな…

 

 

みんな合ってるし、みんな間違ってる。

それぞれの正義を守ってる。

みんな違って、みんな良い。

必要以上に判断しない。反応しない。

 

 

 

 

誰かの何気ない言葉に傷ついたり、自分を否定されてるように感じるとき

 

誰かが放った何気ない一言、

自分に向けられたわけではない言葉に、

なんだかチクっと感じて勝手に傷ついたり

自分に対する嫌味なんじゃないか?と

被害妄想モードに突入したり

自分の存在を否定されてるように感じることがたまにある。

 

学生の頃はその思いをヒートアップさせて

絶対自分のことを言ってるに違いない!と決めつけて

友達に突っかかってしまったり、

勝手に落ち込んで勝手に傷ついて

その友達のことが怖くなったり…

こう書くとつくづくめんどくさくてうざい奴。笑

成人してからも結婚後もその気質は直らず

夫の何気ない言動で自分の存在を否定されてるように感じては

怒りをぶつけて喧嘩になった。

親戚間でも友達間でも職場の人間関係でも

学生のときのように激しく表に出すことはなくても

被害妄想モードに突入して

それを本人には言わず夫や母や親しい人に

こんなことがあって、こうかもしれない…と

打ち明けることはしょっちゅうあった。

大抵、気にしすぎ!と言われて終わるけど

いつまでもうじうじモヤモヤ考えてた。

 

アラサーになった今でもまだまだ

被害妄想が激しくなることはある。

けど、あることに気づいてから

その思いを夫であろうと親しい人であろうと

相手にぶつけることがなくなった。

こうに違いない!と決めつけることが少なくなった。

他の人に打ち明けることも少なくなった。

 

何に気づいたかというと、

「自分を傷つけてるのは自分」

「自分の存在を否定してるのは自分」だということ。

 

他人が言った何気ない言葉を

「自分に言ってる!」と感じて傷つくのは

自分が一番自分にその言葉を言ってるってこと。

例えば、

太れない体質で痩せてることがコンプレックスの人に

「私、太ってる人は無理〜」と言っても

相手は傷つかない。

だってその人自身太ってないし、

自分のこと太ってるとも思ってないから。

じゃあこの言葉を

太ってることがコンプレックスの人の前で言ったら?

本人に直接言ってなくても

太ってることがコンプレックスの人が近くにいて

たまたまその言葉を聞いたら?

自分のこと言われてる!って思うよね。

自分で自分は太ってるって思ってるから。

太ってる自分が嫌いやから。

だから傷つく。

自分自身が一番太ってる自分を自覚してるから。

脳内でそんな自分を攻撃してるから。

だから他人の言葉も自分に向けられてると感じて

傷ついたり腹が立ったり

自分の存在を否定されてるように感じるんだ。

 

他の例でも

もしも女性がいきなり他人から

「ばばあ!」って言われたら腹立つと思う。

でも、「じじい!」って言われたらどうか?

"私男じゃないし。じじいじゃないし"

って、自分には当てはまらないから冷静に聞き流せて

傷つくことも腹立つこともないんじゃないか。

現に、20歳そこそこのとき

子どもと接する機会があって

ものすごくやんちゃな男の子に

「じじい!」と言われたことがあるけど

「え?なんでじじい?笑」と笑ってしまうくらいで

何とも思わなかった。

でももしこれがばばあだったら

いくら子どもとはいえ冗談とはいえ

グサッときてたと思う。笑

自分は女性だという自覚があるから。

 

街を歩いてるとき急に

「ブス!」と聞こえてきたとして

それに対して「自分のこと言ってる…?」と思うのは

自分の容姿に自信がなくて

脳内でいつも自分を貶めてる人だろう。

客観的な容姿の美醜は関係なく

自分が自分のことを美女だと思ってたら

そんな言葉には反応しないはず。

客観的に見て美人な広瀬すずさんとか橋本環奈さんが

その言葉に反応するとは思えないし…笑

逆に自分の容姿にそこまで執着がない人も

そんな言葉には反応しないだろう。

自分のことを可愛いとも美人とも思ってないけど

コンプレックスもあれどそこまで気にしてないし

そもそも自分の見た目にそこまで興味も執着もなく

自分で自分を貶めることもなく…

そんな人だったら容姿を貶す言葉に

過剰反応することもない。

 

 

どんな話も最後に行き着く答えは

"全部自分"なんだと思い知らされる。

誰かがこう言ってるのを聞いて傷ついた、

誰かにこう言われて腹が立った、

誰かがこんなことを言ってて私の存在を否定された気分、

誰かが放ったあの言葉は私に言ってるに違いない…

 

それ、ぜーーーーーーーんぶ

自分が自分に対して言ってること!!!!

意識下でも無意識下でも

自分が自分に対して思ってることなんよー!!!!

自分がそう思ってるから反応しちゃう。

自分がそう思ってるから過敏になる。

自分に対してそんなこと1ミリも思ってない人には

全くもって響かない言葉にダメージ受けてるのは

紛れもなく日頃脳内で自分で自分を傷つけてるからだ。

 

実際に他人が傷つけようとして放った言葉であっても

当の本人がそう思ってなければノーダメージ。

私が過去にじじいと言われて何とも思わなかったように

自分がそうじゃないと思えてたら傷つくことはないってこと。

それってイコール…

「他人に傷つけられた」っていうのは

とんでもない妄想なんだと気づく。

他人が自分を傷つけられるわけがない。

自分しか自分を傷つけられない。

他人に言われたことを図星だと思えば傷つくし

当てはまらないと思えば何とも思わんのやから

結局全部自分でしょう。

 

そこに気づけてからは

他人の言葉に傷ついたり腹が立つと思うことがあっても

一呼吸置いて、客観的に考えられるようになった。

はじめは心が乱されたと感じるし

カーッとなって色々言いたくもなる。

でも、それを一旦抑えて時間を置いて冷静に考えてみると

『違う、私はこの人に傷つけられたんじゃない。今自分で自分を傷つけてるんや…』

『私はこの人に存在を否定されたわけじゃない。自分が一番自分の存在を否定してたんや』

ということを思い出す。

 

なんやかんや書いてても

被害妄想モードに突入することはまだまだあるし

他人の言動に傷ついたり腹が立つことも

これからもいっぱいあると思うけど

そんなときは一呼吸置いて

"その言動に引っかかるのは、自分が自分にそう思ってるからなんだ"

ということを思い出そう。

 

他人に惑わされてるようで

自分が自分を惑わしてる。

他人にダメージ喰らわされたようで

自分が常日頃自分にダメージ喰らわせてる。

そこに気づけたら、

そこを思い出す習慣がつけば、

何も恐れることはない。

何も傷つく必要はない。

 

 

 

 

あなたがそこに居てくれるだけで、誰かの心の支えになってる

 

今、家でのんびりまったり…

うたた寝してる夫にひっついて

お風呂とか明日の準備とか

しないといけないことを後回しにして

電気毛布にくるまってる。

あったかい。心地よい。

こんな贅沢な時間を

大切な人と一緒に過ごせて幸せだなぁ。

と感じると同時に、

こんな風に当たり前に過ぎていく日々は

当たり前ではないのだということも考えて

寂しくなったり切なくなったり怖くなったり

なんとも言えない気持ちになる。

そして、夫にも家にも感謝の気持ちが溢れてきて

大好きやなぁ

居てくれてありがたいなぁ

この空間を生み出してくれてありがたいなぁ

と再認識する。

 

夫や家だけじゃなく

両親や兄弟、親戚、友達、職場の人…

自分に関わってくれてる大切な人達、

普段会ってなくても連絡取ってなくても

そこまで深い仲ではなくても

今その人達がこの世に存在してくれてることが

どれだけ無意識下で自分の心の支えになってるのかと

改めて実感して

今、周りの人達への愛で胸がいっぱい。

自分の体からハートが溢れてきてるような感覚。

この状態のときは無敵になれる。

夫がお風呂も入らず寝ちゃってるけど

そんな姿すら愛おしい。

そんな小さいことにいちいち腹立てたり

ストレス感じなくていい。

 

認知症で施設に入ってた祖母が他界したとき、

コロナ禍もあってずっと会えてなかったのに

祖母は私のことなんて何年も前に忘れてしまったのに

祖母とのたくさんの思い出が頭の中に浮かんできて

そのどれもが祖母の大きい愛を感じられるものばっかりで

もうそんな祖母とは会えないのだと

祖母の姿を見ることが出来なくなるのだと

実感したときに涙が止まらんかった。

お葬式の日まで毎日、目が腫れるまで泣いた。

普段会えなくても、自分のことを忘れられてても、

祖母が生きて居てくれるだけで

どれだけ自分の心の支えになってたのか、痛感した。

それと同時に今生きて居てくれる周りの人達も

普段はその人の存在を全然意識してなくても

もし居なくなったらどれだけ悲しいかと考えたら

ここに居てくれるだけで有難い存在なんだと気づいた。

 

誰しもが、生きてるだけで誰かの心の支えになってる。

それは自分も同じ。

自分が周りの人達に思うのと同じくらい

自分も誰かしらの心の支えになってる。

どんなに苦手な人でも嫌いな人でも

誰かにとっては大切な人で、

誰かの心の支えになってる。

 

まずは自分が大切だと思う人を大切にしよう。

私にとって一番身近なのは夫。次に両親。

そして何よりも自分のことを大切にしよう。

貶したり存在を否定するのはもってのほか。

だって私は、大好きな大好きなばぁちゃんに

あんなに愛情いっぱいもらって育ってきたんやで。

そんな自分を貶したり否定するのは

ばぁちゃんに失礼やろ。

もっと遡ると、ご先祖様にも失礼や。

 

いつどうなるかなんてわからん。

特に今色々不安な世の中やからこそ…

病気も災害も事故もわからん。

そんなこと考えたくないけど

大人だろうが子どもだろうが

今存在してる時点で誰しも

いつどうなるかはわからない。

だからこそ先のことを考えて不安になったり

過去のことをいつまでもくよくよ考えたり

そんな時間がいかに勿体無いのかがわかる。

 

今がどうか?

今をどう過ごすのか?

今何をするのか?

今に集中してみる。

未来も、わくわくを考えるのはいいけど

不安になってあれこれ悩んで動けなくならないように

そのわくわくを実現するために

今どうするのか?を考えて動く。

 

全然話がまとまらないけど…

たまに入る愛情ダダ漏れ無敵モード。笑

常にこの気持ちでいれたら最強なんやけど…。

そうはいかないから今の気持ちを書き殴ってみた。

 

怖がるよりも感謝すること。

感謝して動くこと。

 

今日もありがとうございます。

大好き!

 

 

 

いつも時間ギリギリ行動だった自分が変化してきた理由

 

いつも時間に余裕を持って行動する人がいれば

いつも時間ギリギリにバタバタする人がいる。

決められた時間に間に合わない人もいる。

私はいつもギリギリか間に合わないタイプだった。

学校はいつも走って登校してた。

たまに遅刻もしてた。

バイトも仕事も、初めは時間配分がわからなくて

緊張もあってかなり余裕を持って行ってたのに

慣れてきたら時間配分がわかってきて

そうなると油断からいつもギリギリの出勤に…

始業時間の1分前に着くのは当たり前。

いつも焦ってるし走ってる。

仕事開始の準備は誰よりも早い。笑

イレギュラーがなければ遅刻はしないけど

電車が遅れたり道が混んでたりしたら遅刻してた。

人との待ち合わせや決めた時刻に間に合わず

1〜2分、時には10分程遅れることも多々あった。

夫と付き合ってたときは

会う約束をする度にいつも待たせてた。

こう書き出してみると、とんでもない奴…

私より時間にルーズな友達を待つこともよくあったけど

お互い様だから気を遣わなくて良いわ〜とすら思ってた。

 

何度も直そうとしたけど毎回同じことを繰り返す。

朝が苦手でバタバタするのは勿論のこと、

どんなに予定時刻まで時間にゆとりがあっても

家を出る前にあれもこれもしておきたくなって

そんなこんなをしてたら結局ギリギリになる。

時間を逆算するのが極端に苦手だ。

それは今も変わらないけど

最近は以前より時間に余裕を持って動けるようになってきた。

何を変えたのか?考えてみると、

①家を出る30分前には身支度を済ませておく

②家を出る20分前には歯磨きを済ませておく

③前日には着ていく服を決めておく

 

ここを意識するだけでかなり変わった。

 

それまでは、なんとなくだらだら化粧して髪型を整えて

そしたらもう家を出る10分前とかになって

焦って歯磨きして着替えて…としてたら

家を出たい時間の直前にお腹が痛くなって

トイレにこもって余裕ある時間に間に合わない…

みたいなパターンを繰り返してた。

それを、もう20〜30分前には済ませるように決めたら

お腹が痛くなっても時間に余裕ができるようになった。

時間管理が得意な人からしたら当たり前のことやろうけど

自分の中ではそんな意識を持つことで

ギリギリ行動から脱出できてきた。

前日に服を決めておくのも、

いつも当日にバタバタしながら

あぁでもないこうでもない…と

何回も着替え直してた過去を思うと

これを着ればOK!というだけでものすごい時短になった。

服を断捨離して少なくしておくことも

選択肢が減って選びやすいから大切。

 

あとは、自分を客観視できたことも大きい。

職場に遅刻欠勤サボり常習犯のバイトがいて

遅刻してものんびり歩いて出勤してることを指摘されて

一応走って来るようになったのだけど

毎度遅れてきて走ってるその姿が

すごくカッコ悪いな…と

自分も普段こう見えてるのか…と

客観視できたときに恥ずかしくなって

これはやめようと強く感じたことも大きい。

普段真面目に働いてる他の人が

時間ギリギリで走ってても何とも思わないけど。

そのバイトに関しては

なんで辞めないのか?クビにしないのか?と思うくらい

日頃の行いが酷すぎるのもあるけど

こんな信頼できない人間と同じに思われるのは嫌だなと

気付かせてくれたことに感謝。笑

 

おかげさまで最近はプライベートで出かけるときも

予定より一本早い電車に乗れるようになったり

かなり余裕を持って目的地に着けるようになって

夫にも「すごいやん」と言ってもらえた。笑

夫みたいな人からしたら当たり前のことなんやけど…

それが難しかった自分からすると

今年の大きな変化だった。

 

いつも時間に余裕を持って動いてる人って

心にも行動にも余裕があって

なんかかっこよく見えるしね。

焦ってバタバタするより

ゆとりを持って動ける人になりたい。

時間にルーズな友達も変わらず好きやけど!

自分が変わりたいなら、そこは変えていく。

まだまだ時間管理のプロな夫には敵わないけど

これからも模索しつつ

時間に余裕を持って生活しよう。

 

 

これを持って新年を迎えたいか?を考えて断捨離すると捗る

 

12月に入ってから行動力プチUP中の主婦…笑

前回リストアップしたやることリストの

テレビ裏&キッチンの配線のごちゃごちゃを整理をして

日々視界に入るもののストレスが減ったし

掃除機をかけるのが格段に楽になった!

すべきことを見て見ぬふりし続けることは

無自覚にストレスを蓄積していってるのだな…と

改めて痛感した。

 

今日は出勤前に思い立って掃除&断捨離!

もう着ないのに捨てずに置いてた下着類、

くたびれてるから着けたくないけど

下着ってそのままポイっと捨てられないから

捨てるまでの過程が億劫で

収納ケースの奥の方に入れて放置してた。

でも今日掃除してたら急に

あれを引き出しに入れたまま新年を迎えたくないな…

と思って向き合うことに。

結果、

ブラジャー1 ノンワイヤーブラ1 ショーツ1

合計3点処分できた。

 

それから仕事の後、

ふらっと入った靴屋さんで

今履きこんでるスニーカーの新モデルを見つけて試着した。

その試着したスニーカーは歩くと痛くて購入は断念したけど

ふと自分が履いてたスニーカーを客観的に見て

あまりのボロボロ具合にドン引き…笑

仕事用とはいえこんな靴を履いててはいかんなと

この靴で新年を迎えたくないなと思って

帰宅後処分した。

まだ綺麗なスニーカーが2足あるのに

柔らかくて履きやすい方ばかり履いてしまって

ボロボロになってた。

しばらくは今ある2足を履き回して

またお気に入りの1足を見つけよう。

夫も、探し物をしてるときに出てきた水着を処分してて

今日は夫婦で断捨離dayになった。

 

やっぱり新年を迎える前の区切りパワーはすごい。

これをもって新年を迎えたいか?

そう考えながら、服やモノと向き合って断捨離しよう。

気持ちよく新年を迎える準備をしよう。